勇魚会寄稿文「私のくじらグッズ収集」




「1万円未満」ルール
これが私のグッズ収集時の自分に課したルールである。
なぜいつこのルールが出来たか。
それは忘れもしない、若き日の初めてのマウイ島旅行時のことである。

私はJCBカードを持っていたのだが、なんと当時のマウイ島では使えないのであった。
それでも欲しいものだらけのマウイ。
その頃の日本にはくじらのものなど殆どなく、イルカものがすこしある程度だった。
残金が気になりつつも、「欲しいものは欲しい」とバコバコ購入する私。
そしてとうとう、今自分がかかえているグッズ達で現金は終わりという状態を迎えた。
私は珠算1級なので計算はお手の物。
ギリギリで買えるものをレジのお兄さんのところへ持っていった。

ところがなんたること!
当時まだ日本では導入していなかった、消費税があったのだったぁぁぁぁぁ!
私の有り金ではあと1ドルちょっと足りない。
猛烈落胆し、一体どれを買わずに置いていけばいいのか、これでも厳選した物達ばかり。
レジのお兄さんも単なるバイトのようで、安くしてあげることも出来ずすごく気の毒そうに見ている。
顔面蒼白で、買わないものを未練がましく選ぶ私。

すると突然お兄さんが、「It's OK!!」とすごく明るい顔をして言った。
なんと自分のジーパンのポケットに入っていた小銭で充当することが出来るというのだ。
彼だって一介のアルバイト。そんな彼にそんなことをさせては国辱ものだ。
「いやっ、いいですいいです。そんなもうしわけないこと、、、」と拒んだが、彼は笑顔でOKを連発。
レジにお金を入れ、全ての品物を包んでくれた。ああ、ありがとう。なんて素晴らしいんだ。
何度も何度もお礼を言ったが、まぬけなことに名前を聞くのを忘れた。
翌年もマウイに行き、彼にお礼を渡そうと思ったけど、そう世の中はうまくは出来ていない。
しかしあれだけwarm heartの彼だから、幸せにしているだろうと思う。
ありがとう、○○さ〜ん!

ハワイのwarm heartに比べて、日本人はどうだったかも報告させてもらおう。
もちろんくじらグッズですってんてんになった私が一番悪い事は最初に言っておく。

社員旅行だったので同僚達に事情を話し、是非ドルを貸して欲しいとお願いしてまわった。
だが私の人望のなさからか、皆「外国だから何があるかわからない」と殆ど貸してくれなかったのだ。
皆がロブスターなどを食べている横で、トースト1枚をかじる私。
飛行機に乗るまでそれはそれは大変な思いをした。
その時に決めたのである。
このままエスカレートすれば、一(いち)サラリーマンにすぎない私はすぐにでも破産するだろう。
高い物は他の人に任せ、私は自分の身の丈にあった収集をしようじゃないか、と、、、。

一番の宝物
くじらグッズ収集をしていて、なにが嬉しいか?
もちろん素敵だったり、珍しかったりするグッズそのものを、我が物に出来ることはまず嬉しい。
しかしそれと同時に、そのグッズが私の手に渡るまでの過程そのものも、私にとってはグッズ同様、
大切なものなのである。

たとえば、ハワイに行っていた上司が「ゴルフをしていて、ふと見たらくじらがついてたから持ってきた」と傷だらけのゴルフボールを一つ手渡してくれたり、友人から私のことを聞いていた人が「目に入って気になったから買ってきちゃった」と、友人を介して見も知らぬ方からくじらのガラス細工を頂いたり、アルバイトの女の子が、鴨川シーワールドのお土産袋(尾びれのデザイン)を「こんなものですみません、、、」と、恥ずかしそうに渡してくれたり、友人の息子が幼稚園で習ったと、くじらの折り紙をくれたり、、、
書いていくと紙面がつきるくらいグッズそのもの、もしくは何処に何があったという情報を色んな人から頂いており、そのひとつひとつがグッズだけではない、私だけのピカピカの宝物なのである。

ただ、一番の宝物は何か?と問われたらちゃんと答えられる。
大学時代にもらった巨大なくじらのぬいぐるみである。
西武新宿線の新宿駅下のアメリカンブルバードに、海ものグッズの店があった(もうないけど)。
そこに空色、黄色、ピンク、青のめちゃくちゃかわいい巨大くじらぬいぐるみが棚の上に並んでいた。
なんと当時の価格で2万円だった。
社会人である今でもルールに抵触するのだから、一介の学生だった私には高値の花だったのである。
だから、時々会いに行っていたのだ。
棚の上を見上げてニンマリ微笑む私。そして何も買わずに出て行く私。
はたから見ていたら不気味だっただろう。

ちょっと話が飛ぶが、大学のサークルの合宿で夕方ゲームをしようと大広間に大人数が集った。
こんなにいたら収拾つかないだろうと思った私は「私はいいや、編み物してるから」と参加をことわった。
普通だったらそこまでなのだが、その時はやたら執拗に「入ろうよう〜」と誘われる。
ゲームは確か、皆で輪になりトランプを1枚ずつもらってそれを見てから腹ばいになって顔を伏せ、ジョーカーとキング(このあたりの記憶は定かではない)をもらった人だけがそっと顔を起こし、キングの人が顔を伏せている人達の中から一人を選んで指をさし、ジョーカーの人が輪の真ん中に置いてある新聞を丸めた棒で思いっ切りその人を殴る。
殴られた人は「いて〜!」の悲鳴とともに1から10まで声を出してかぞえてから顔を上げ、自分を殴るよう指示した人と殴った人をあてる、という素朴なものだった。
何回目かに私が殴られた。
「ヒ〜!」といいながら1から10までかぞえて顔を上げた。
なにか青い大きなものがこちらを見ている。
それよりも、一緒に顔を上げつつあるはずなのに皆がすわってこれまた全員笑顔で私を見ている。
なんだろう?ともう一度目の前の大きなそれをみた。

なんと、あの2万円のぬいぐるみではないか!
もう一度皆の笑顔を見る。「お誕生日おめでとう!イエイ!」「え〜!!!!!!」

やっとわかって涙が溢れ出す。この為に仕組まれたゲームだったのだ。
惚れ込んだくじらを買えずに、時々会いにいっていることを知った親友が、大学のサークルの先輩から後輩まで誰彼かまわず声をかけ、多分一人800円位ずつ徴収し購入。
私にわからないように別の車で巨大ぬいぐるみを運び、男子部屋に隠し、ゲームの何回目に誰がくじらをどこから持ってくるのか等、私の知らないところで打ち合わせが行われ、、、。
一瞬にしてそれらのことを想像出来た私は、その巨大ぬいぐるみを抱きしめながら、「もう今死んでもいい、ヒック、ありがとう、ウゥゥゥゥ〜」と泣いたのである。(ご丁寧に写真係もいて、顔を上げるところ、驚くところ、泣いたところ、抱きしめてるところ等、絶妙なタイミングの写真が残っている)
今後どんなに長生きしようと、これ以上の感激はないだろうと、今でも思い出すたび目がうるうるしてくる最高の思い出である。

一番高い買物
 それは、(財)日本鯨類研究所への転職である。なんと年収が3分の1になった!
(鯨研の名誉の為に言っておくが、鯨研の前は毎日深夜まで馬車馬のごとく働いており年齢の割に高収入だったのだ)。
でも皆さんもお分かりだろうが、そんなことを補ってもあまりある経験をさせてもらった。
IWCにも裏方で行ったり、目視調査船の調査員も志願してやらせてもらった。
鯨、捕鯨関係の本や書類に囲まれ、第一線で活躍する研究者や水産庁の方々ともお知り合いになれ、普通では聞けないこと、見れないこと等、貴重な体験をさせてもらった。
今現在はまた馬車馬に戻り一般企業で働いている、研究者でないこの私が勇魚会に在籍させてもらっているのは、当時知り合った研究者の皆さんや鯨研の人等、あらゆる人達の活躍を陰ながら見守り応援する場と“勇魚“をとらえているからである。
そんな特殊な会員の私に今回の執筆依頼、本当に光栄である。

普段の収集など
もちろん、ウォッチングにも行く。
太地でゴンドウを見たのを皮切りに、ニュージーランドのカイクウラというところでマッコウを見た。
今ではすごい賑わいのようだが、私が行ったのはホウェールウォッチングが始まったばかりの時。
その頃は何の看板もない、本当の田舎町だった。
ザトウは小笠原で、コクはメキシコのカルフォルニア半島の先端、リゾート地のカボサンルーカスから小型飛行機で北へ3時間くらいとんだところで。着陸前に飛行機からコクの親子達が見れて感激だった。
(あいにくタッチは出来なかったが、、、)
シロナガスクジラはアメリカのサンタバーバラとモントレーで必死に探したが見れずじまい。
イッカクは、13年前伊勢丹で催された「氷河期の島グリーンランド展」でイッカクの角をさわらせてもらい、その記念に「イッカククジラ接触証明書」(グリーンランド国立博物館館長クラウス・アンドレアセン発行)をもらったからまあいいかと思っている。
(これ冗談じゃないですよ。本当にそういう証明書手元にあるんだから、、、)
今、見たいなと思っているのはセミクジラ。いつか見にいくぞー!お〜!

グッズ収集は、ウォッチングに行った時に買い込むのと、普段なにげなく歩いていてふと目にとまる、もしくはなんとなくありそうと思ったあたりをうろつき入手にいたるもの(何か気配とでもいうようなものを感じるんですよ)と、人に情報をもらって購入に向かう、この3種類。
私の周りにいる人は、自然にくじらグッズに対するアンテナがどんどん伸びてゆき、私も驚くようなものを見つけてきてくれたりする。
しかし、私が常におびえているのが、「くじらの○○○を見つけたけど、もう持っているだろうと思って買わなかった。」この言葉である。何百回、このいまわしい言葉を聞いただろうか。
この言葉を言った人は私に「一人(私)の目が見つける物などたかが知れているのだ。万が一持っていたとしても、自分で買った方を使えるようになるわけで、それはそれでとても嬉しいことなのだ。一期一会である。今度は絶対に目に入った物は買ってきてね、どんな物でも必ず支払うから、、、」という説教(?)を延々と聞かせられるはめになるのだ。
とにかく、何でも持っていると思われることが一番恐い。
「皆さん、私はほとんど何にも持ってませんよ〜!」

私はイルカ、シャチには食指が動かない、くじらのみのコレクターである。
ここで「イルカとくじらは一体どこで分けとんじゃい?」という会員からのつっこみが一斉に聞こえてくる。
これは私の勝手な趣味なのでお許し願いたいが、私の食指が動くのは基本的にくちばしのないもの。種類であげてみると、シロナガス、ナガス、イワシ、ニタリ、ミンク、ザトウ、ホッキョク、セミ、コク、マッコウ、ゴンドウ全般、イッカク、それに大いにデフォルメされたくじらだ。

多くの男性有名コレクター達は情報網や人脈を大いに利用し、切手は全て持っているとか、本は全て持っているとか、その徹底度合いが私とは全然違う。
また、集めるだけでは飽き足らず、自分でグッズをつくる、書く等、本当にかなわない。
意外な男女の差だろうか?
もし女性コレクターで、私はもっと徹底してるわよ、という方がいらっしゃったらご一報を。

また、多くの人に批判されるのが「手に入れたくじらグッズを決して使わない」という点である。
どうしても使用したいものは2つ購入し、1つは保存用。
逆にどうして他のコレクターは使えるのかが不思議だ。
使ったら汚れる。当然である。どうもわからない。

で、今どのくらいあるのか?全くわからない。
数年前700点ほど(もちろん、小さい物も含めて)だったので、今はその倍、いや3倍くらいか、、、。
ジャンルを決めていないので、ガラクタだらけである。
ポストカード、便箋、文房具、アクセサリーは言うに及ばず、布、よだれかけ、子供靴、男性用下着、トイレットペーパー、傘立て、マウスカバー、シャボン玉作成おもちゃ、皮剥き器、お弁当箱、歯ブラシ、ビーチサンダル、ネクタイ、ポット、カップ、時計etc.etc.

そして今
私の夢は、小さくていいからくじらグッズだけのお店を開くことだった。
今日のイルカ・くじらブームの10年位前からだから、先見の明だけはあったといえるだろう。
ただ、ノウハウや人脈のなさ、海の近くやホウェールウォッチングをしている場所でないとなりたたないだろうという悲観的観測などで、ぼんやり今日まで来てしまっている。でもただでは転ばない。
お店は無理でも、「自分のコレクションを展示して見てもらう」、これなら実現可能だろう、と考えた。
その為に、玄関からすぐのところに洋室が一つある2DKという条件で必死に探して引越し。
それが丁度2年前。

お前、一体この2年間、何をやってきたのか?全く展示出来ていないじゃないか。
棚やキュリオケースの購入をすませ、オリジナルポストカードももう出来ているというのに、、、。
ホームページで自分のコレクションを入手方法などとも合わせて紹介しようと、ホームページ代も払っているのに、こちらも一つも出来ていない。う〜む、ぐうたらとしか言いようがない。
しかし会社を休むわけにはいかない。この家賃を一人で払っていかねばならぬ のだから。
(う〜ん、20代前半のピチピチの頃にスポンサーを見つけておけば良かった、、、もう遅い、、、)
まあ、そのうちどうにかしよう。

いずれにしても、展示室オープンのあかつきには、勇魚会の皆さんは必ず招待するので、是非いらして下さい(一体いつのことになるのやら、、、)。
・・・「勇魚」第30号より

・「勇魚(いさな)」・・・勇魚会機関誌(年2回発行)

・「勇魚会(いさなかい)」・・・海産哺乳動物に関心のある人々の親睦を図り、情報交換をすることを目的にしている。研究者や研究者の卵、水族館や大学勤務者など、200名強の会員がいる




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